心の拠り所

大好きなラジオが終わってしまう。

昨日たまたま、知り合いに(最近知り合った人に)

私の好きな2人がラジオやってるから聴いてみてねー!なんて勧めたら、

あと1ヶ月で終了のお知らせがありました。

なんというタイミング...←





私が高橋優と言う人の歌を聴くようになったのは

おーくらくんがwebでやすに勧められて聴いてるアーティストがいるみたいな話をしてて、気になって調べたのがきっかけで。

その時に初めてCD借りたから、私の初めての高橋優は「この声」でした。今でも覚えてる。


その年の(確か)モード学園のCMで「♪高橋優」って出てたのを見てたから何となく知ってはいて。

札幌で活動してた時の事はよく知らないけど←

でも札幌に居たんだー!ってなんか勝手に親近感は持ってて。笑


やすくんがラジオにゲストで来た時に、やすくんとおーくらくんが優くんに初めて会ったのはSHIBUYA-AXって言ってたから、多分誰がために唄う優の時でしょ?

2011年の話ねー。

いとさんは初5大ドームツアーやった年。

まぁそれは良いんだけど←


そっから2013年におーくらくんがラジオを始めて。

1人でラジオやりたいって言ったおーくらくんに無理!って言ったマネージャーさん、おーくらくんがそこから7年もラジオやるなんて思ってなかっただろうなー。笑

日曜日好っきゃねん(昼間30分番組)を1年、ラジオ好っきゃねん(夜30分番組)を1年経てからの優くんとのANN(夜90分番組)。

5年間で高橋優って人の為人を知って

優くんの歌を沢山聴いて

優くんの事がどんどん好きになって。

文化放送(レコメン)は飛び飛びでしか聴いてなかった私だけど、ニッポン放送には毎週お世話になってました。毎週楽しませて貰ってた。


やすくんに勧められて、やすくんに連れられて

優くんと出逢ったおーくらくんが、やすくんより優くんに会う機会が増えて。

優くんがおーくらくんの事を考えた歌を

作っちゃうくらいの仲になって。


なのに、歳下のおーくらくんが「優くん」

って呼ぶのに

歳上の優くんは「大倉さん」な距離感が

面白くて。笑


明るい話題だけじゃなかったけど、

(特にこの2年は。)

おーくらくんが腸閉塞になった時も

すばるが退所する時も

亮ちゃんが退所する時も

おーくらくんのその時その時のリアルな気持ちを

聴かせてくれる場所で。

それを良い距離感で聴いてくれて

受け止めてくれる優くんが居て。


胆振東部地震の時も、西日本豪雨の時も、

令和元年東日本台風の時も。

心配して、寄り添ってくれて、おーくらくんも

優くんも大変な時に、電話でも、少しでもって

ラジオやってくれて、歌ってくれて。

本当に心の拠り所だったなって。

とっても良い番組でした。


仕事でどんなに嫌な事あっても、

毎週土曜に大好きな人たちの声が聴けて。

くだらない事でゲラゲラ笑ってる声が聴けると

こっちまで元気になれて。

かと思えば急に真面目な話したり

突然音楽番組みたいになったり。

飽きる事ない番組だったなー。

5年は長いようで、短い。


永遠なんて、絶対なんて、当たり前なんて

そんなものないってわかってるはずなのに

当たり前に続くと思ってしまっていたよ。

ばかだなぁ、学習しないなぁ、自分。




ただ、それでも、私はおーくらくんが言う、

「この先に向けて、今まで以上にグループの活動に深く関わっていかなければいけない」

「5人みんながメインボーカルが出来るように」

(34歳にして初めて)

「ボイトレを受けて、改造している」

って話は全部

「関ジャニ∞を全うする」

「関ジャニ∞を続けていく」

為の物だと信じたいから。

信じてるから。


前向きな話だと思ってるから。

終わりは始まりだから。


おーくらくんと優くんの決意を

しっかり受け止めたいなって思います。


おーくらくん、優くんに出逢わせてくれて

ありがとう。

優くん、いつもリスナーにもおーくらくんにも

寄り添ってくれてありがとう。

中継してまで、出来るだけ生放送、に拘って

頑張ってくれたスタッフさんたちありがとう。


実に楽しい時間を5年間もありがとう。

ラジオが聴けなくなってしまうのは本当に寂しいけど、おーくらくんも優くんも消えてなくなってしまう訳じゃないから。

これからも大好きな2人です。