8.8 関ジャニ∞の日
2019.08.08
もう何回目の関ジャニ∞の日かな。
結成当初もデビュー当初も言ってなかったよね?←
でももう10年以上言い続けてる記念日。
そんな日にちょっと物思いにふけてみる。
今回のツアー、ネットニュースに躍らされて馬鹿みたいって思うけど、終わりが近付いてる気がして仕方なかった。
15周年って言うAnniversaryyearってのもあるけど、松竹座使ったり、8色だったり、BOYたちはいろはだし、正直、CDも在庫処分か?くらいに感じてる。
単純に集大成なら良いんだけど、素直に受け止められない。
永遠なんてないこと、この15年で見て来たから。博貴の時も、すばるの時も。
みんなが居ることが当たり前なんかじゃないって思い知らされてるから。
そして、一番引っ掛かってるのは大倉のジャニーさんへのコメント。
みんな頑張るって言ってたね。
見守ってあげてね。
そこにまるで大倉は居ないかのような言い方。
募る不安。
そんな気持ちで向かった十五祭初日。
楽しかった。eightも楽しそうだった。
聴きたかった曲も沢山聴けたし、これが映像になる日が来るなんて!とも思った。
でもそれだけでは終われなくて。
いつでも生のその時の言葉を聞かせてくれてたのに、最後の挨拶が映像で。
いきなり映像とか構えてしまうかもしれないけど
って言う亮ちゃんの言葉。構えるって解ってて、映像にした意味ってなんだろう。
最年少として15年間、このグループに居させていただきましたけど。
大倉のこの言葉も凄く引っ掛かるというか、怖い。そんなつもりはないのかもしれないけど、ただの杞憂に終われば良いんだけど、
その言葉の後ろに、終わりがある気がしていて。
別々のタイミングであっても、例え違う場所に居てもいづれ綺麗な花を咲かせてくれると良いなと思ってます。
誰のこと言ってるのかなって、しなくて良い深読みしちゃう自分が嫌で。
でも、博貴の時も、最後まで8→1を残してくれたのは大倉で。
すばるの時も一番最後まで納得してないって不貞腐れてたのも大倉で。
大倉って一番eighterの感覚に近いと思ってて。
だから、信じたいんだよ。
でも、だからこそ、生の声が聞きたい。
すばるに対して、最後まで芯を食った言葉が聞けなかった、と言うのなら。
私は大倉の芯を食った言葉を生の声で聞きたい。
楽しい、嬉しい、やっぱり大倉が好き。
そう感じれば感じるほど。
終わった後のモヤモヤが消えなくて。
純粋にLIVE楽しみたいのに、それだけで終われない自分。
すばるの事もそうだけど、気持ちがバラバラ、ぐちゃぐちゃな状態。
博貴の事も、すばるの事も、居なかった事にはしたくないって考える大倉の気持ち、凄く伝わるんだよ今年のtour。
だけど、それと同時に、俺が居なくなっても、居なかった事にしないで欲しいって意思表示なんじゃないかって思ってしまうんだよ。
残すところ東京だけになったtour。
あと1ヶ月ずっと晴れない私の気持ち。
そして、ちょっとズレるけど、スタジアムやらないのかな。
Anniversaryは野外やってきてたから、やって欲しいんだけど...それがないのも深読みしてしまう理由で。
誰が見るかわからない、誰も見ないかもしれないこんなブログで、
気持ちを吐き出してみる。
そんな関ジャニ∞の日でした。